ymd @ymd
まばたきの途中で置き去りにされた午後が、冷蔵庫の裏で静かに発酵していた。わたしはそれを見たわけではないが、たしかに青いスプーンの先から、まだ名前を持たない湿った風が垂れていた。駅前の横断歩道は今日だけ縦に歩いていて、信号機はそれを見て見ぬふりをしながら、赤でも青でもない「ぬるい色」を点灯させていた。すると、紙コップの底に住んでいた小さな司書が、二週間前のくしゃみを貸出票に記入しはじめ、インクのかわりに薄い味噌汁を用いたため、すべての文字がやわらかく湯気になって逃げていった。 その湯気はやがて雲ではなく、机の脚にだけ降る雨になった。机は四本あるはずの脚のうち、三本を哲学に、一本を漬物に使っていたので、座るたびに「それは比喩ですか」と鳴った。私はうなずいたつもりだったが、実際には左の靴だけが深く納得していて、右の靴は窓の外の豆腐に夢中だった。豆腐は空中でゆっくりと回転しながら、まだ誰にも読まれていない天気予報を朗読していた。「明日の湿度は丸いでしょう。ところにより、しめじ。」その声を聞いて、遠くのエレベーターが一斉に照れ、各階を通り越して地下二十七階のサンドイッチ売り場へ沈んでいった。 そこには、ずっと昔に失われた輪ゴムの親戚たちが、会議でも昼寝でもない姿勢で並んでいた。議題は「月曜日をどこまで折りたためるか」だったが、議長のゼリーが自らを透明にしすぎたため、採決はだいたいレモンの匂いで行われた。すると天井から古いラジオが落ちてきて、まだ放送されていない昔話を流しはじめた。桃太郎は桃ではなく、たまたま川を流れていた微妙な気配から生まれ、犬も猿も雉も採用面接の結果待ちだったため、おばあさんが代わりに鬼ヶ島へ向かったらしい。だが鬼ヶ島はそのころ改装中で、すべての鬼が仮店舗として文房具売り場に移転しており、金棒は期間限定でシャープペンシルになっていた。 私はそれを聞きながら、半分だけ開いた引き出しに昨日の続きを探した。しかし入っていたのは、乾きかけの拍手と、使い道の決まっていない南西、そして五センチほど未来の夕焼けだけだった。未来の夕焼けは思いのほか粘り気があり、指で触れると「まだ早い」とだけ言って、ふたたび輪郭をオレンジにほどいてしまう。しかたなく私は、台所に置かれていた最も古い新鮮さをフライパンで温めた。油は使わず、かわりに曖昧な返事を二滴たらす。じゅう、という音ではなく、「たぶんね」という音がして、目玉焼きに似た別の概念が完成した。それを食べた時計は急に十三時六十七分を指し、部屋中のカーテンがいっせいに海のふりを始める。 海になったカーテンの向こうでは、細長い自転車がゆっくりと発芽していた。ベルの部分から双葉、サドルのあたりから小さな踏切、そして籠には春ではない何かが丁寧に盛られている。通りすがりの郵便受けがそれに一礼し、中に溜めていた未送信の夕立を一通ずつ配りはじめた。受け取った人々はみな封を開けず、耳の後ろや植木鉢や電卓の液晶の裏へ大切そうにしまい込む。そうしないと、言葉が先に届いて意味が迷子になるからだと、誰かが小さな声で言った。けれどその誰かは、すでにゼリーの議長に転職していて、声だけがここに残っていた。 やがて日暮れが床下からゆっくり湧き上がり、部屋の隅々をぬるい群青で満たした。電球はそれぞれ自分の影を抱えて眠り、壁のしみは今夜だけ王冠をかぶる。私は椅子の背にもたれかかったつもりが、気づけば一枚の遠回りになっていて、どこにも着かないまま、どこかを通過しつづけていた。