藤堂俊介 @shunsuketodo
令和8年5月22日 晴れの金曜日 昨日の雨は何だったかというくらい今日は午後からいい天気になっている。自分が良ければ麻痺している体の動き円滑になってきている。病室からトイレまでの移動は靴を履かせてもらう以外は看護師または介護福祉士の歩いて行くところまでの見守りだけで用足しが完了するようになった。 どんなに長距離歩けるようになったとしても日常生活動作が非円滑ならば、これは復帰とは言えない。人が行う上で重要なことは摂食睡眠排泄。この3つが達成された。まだまだ運動麻痺が倒れる前より強くなっている左足首から下がまだ硬さが残っている。歩行器を使って歩いている状態ではつまづいたとしても止まるように意識しているため転倒はまだ起きていない。来週は残る杖歩行の確実な安定を目指していきたい。 親父の七回忌 令和2年今日、私の父親は大学病院で亡くなった。ちょうどCOVID-19の感染が日本に広がり感染症を広げない、体温が37.5°c が4日間続いたらという手探りの状態だった。 定期的に検診していた病院から帰って先に熱が出たと訴えた。話を聞く状況からCOVID-19ではないと思ったが、もしそうだったら周りの白眼視の怖れを優先させてしまった。 罹患者の情報は自治体名と人数のみで個人情報は漏れることがないとわかってるはずが、人の噂や現X(旧Twitter)での《特定班》から漏れてしまうのではないかという考えが優先して父親を10日間療養させた。 いつも経っても熱が下がらず、当時あった県の相談センターへ電話をした。COVID-19とは考えにくいので受診と医療につなげた。結果は肺炎とそれによる腎炎。死亡診断書には肺炎とだけあった。 あの頃はCOVID-19にマスコミも恐怖だけ煽った。パンデミック(世界的流行)という英語由来カタカナ語も定着した。見えざる敵におびえすぎたと思う。ここで言う敵はウイルス(Virus)とは違い、人々の偏見差別。予防法が手洗いマスクと聞いていた段階で気付けばよかった。 あれから6年。因果なもので、私が2月転倒負傷、植皮手術のため入院した大学病院の4回目の部屋移動に来た部屋の真向かいが父親が亡くなった病室だった。 父親は肺炎治療のため呼吸器をつけていた気管挿管することから麻酔をかけている。母親の話では舌を動かしその後臨終。いったい何を言いたかったのだろうか。 父親の思い出はたくさん残っている。しかし、若い頃は何をしていたのか、どういう考えや行動をしてきたのかは一切は話さなかった。趣味の写真撮影に残るモノクロ写真からたどるしかないがあまりにも断片的だ。 七回忌、私は今だ入院中。法要はできずじまい。日を改めて執り行おうと思う。